書は字の形ではなく
多くの個性ある線と
白と黒のバランス
ようやく最近になってこのことが少し理解できるようになったかなあと思っています。
書作品を前にして「漢詩が読めない」
「上手か下手かわからない…」など。
疑問点が書から遠ざけ、活字や漫画字を読みやすいとし、きれいな字は活字に近い形とされてしまうような傾向があるように思います。
また、最近では、デザインされたような字に、若い方々の美意識も変わりつつあるのかなあと思ったりします。
(私の字もそう見えるかも知れません)
「文化」と称して呼ばれるもののひとつに、書道もあると思うのですが、字の形は誰の目にも見え、比較し易いこともあり、近年の子供たちの学校で書道教育が、「形」重視になることが残念です。本来なら、それぞれの線を評価し、伸ばしてあげるのが、書道かと思っています。
一文字でも意味を成す「漢字」を、「文化レベル」に引き上げた中国でさえ、長い歴史に終止符を打つかのように、書道の時間が学校でなくなってしまいました。日本が学校教育において唯一の書道文化継承の国です。
お米作りや田舎暮らしやお祭りなどの中に、すばらしい日本の文化が継承されてきました。過疎化や機械化が多くの文化を取り残したままは、寂しい限りです。
簡単に継承できるものではありませんが、家族の在り方も含めて、学年を超えて肩を並べて学ぶ子どもたちとともに、何か根底にある大きなものを探ってみたいと思っています。
答えが出るのか、いや、あるのか…さえわからない途轍もない課題ですが、書を通じて、私なりに探ってみることに意義があると感じています。